能登町の高校生へ:定住協の役割と、なぜ人は能登に来るのか
- 13 時間前
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今日は高校の卒業式だったとのこと。ご卒業おめでとうございます🌸 先日 #鳳雛ゼミ で高校生向けに話した内容が、有難いことに良かったとの声を多数いただき、口語文で長いですが、こちらにも私のメモとして残しておこうと思います。
集落コーディネーター(デザインも兼業で引き続きやってます!)についてもよく聞かれるので、こんなことをしてますという意味も込めて。
能登町の高校生へ:定住協の役割と、なぜ人は能登に来るのか

地震と水害で、能登町の生活は大きく傷つきました。家が壊れ、道路や水や電気が止まり、仕事や学校、日々の予定が一度に揺らぎました。これは事実で、重い現実です。でも、ここから先を決めるのは「被害の大きさ」ではありません。能登には、もう一度立ち上がれる根拠があります。能登の暮らしは壊れていません。助け合い、段取り、祭り、海と山の仕事、顔の見える関係、困ったときに放っておけない空気。これが今も残っています。だから能登町は復興できる。
定住協が目指すのは、ただ元通りにすることではありません。能登町の集落にある、強くたくましい暮らしを受け継ぎ、これからも能登を楽しめる場所として続けることです。人の流れや仕事の流れは、そのための手段です。順番だけは絶対に変えません。暮らしが続く状態をつくる。そのために、必要な人材や関係、仕事、外の力を組み直す。これが定住協の役割です。
定住協は、役場でも会社でもありません。役場は制度と公平で動く。会社は事業と採算で動く。どちらも必要です。ただ、災害後の現場には、そのどちらでも届かない領域が必ず出ます。制度に当てはまらないが放置すると暮らしが止まる困りごと。担当が決まらず調整が進まない課題。手伝いたい人が来ても受け入れの段取りがなくて空回りする状況。支援が単発で終わり、次につながらない問題。こういう「すき間」が現実にあります。
定住協は、そのすき間を埋めるために動きます。人をつなぐだけでは終わらない。つないだ先で、実行が成立するように形を整える。集落の現場の声を聞き、課題を言葉にし、優先順位をつけ、必要な協力を集め、誰が何をいつまでにやるかを組み直し、やり切れる形に落とす。善意も情報も、並べるだけでは動きません。動く形にして初めて、暮らしは前に進みます。
そして、集落の現場に入り、この仕事を具体化していくのが「 #集落コーディネーター 」です。集落コーディネーターは定住協のスタッフであり、集落ごとの事情の違いを受け止め、必要な支援と外の力をつなぎ、実行が成立するよう、段取りを組む担当です。
能登町の復興は「町全体を一つの正解で直す」では進みません。集落ごとに事情が違うからです。能登町は193もの集落から成る合衆国。家の片付けが先の集落もあれば、居場所の再開が先の集落もある。行事が心の支えで「今年だけでも成立させたい」という集落もあれば、生業や交通の再建が急所になる集落もある。違いを見あやまると、支援は空回りします。
例えば、祭礼にも集落ごとに事情が異なります。神事だけでも、、という集落もあれば、キリコを1基動かしたいが人足が集まらなくて困っているという集落もあります。震災が祭礼をやめる理由になったという集落もあれば、震災を機に、何十年ぶりに祭礼が再開、Tシャツもお揃いで作り、勢いがある集落も。隣の集落が祭礼再開したから俺らも再開させる!という良い波もありました。
全部の集落に祭礼再開を求めることが集落コーディネーターではありません。事情を知り、集落の暮らしを守ることを大切に動いています。
だから常日頃、現場に入り、集落の方々とお話をしながら、それぞれの集落の違いやお困りごとをつかみ、必要な手順を整え、暮らしが前に進む形にする。その積み重ねが復興を動かします。

ここからが、今日いちばん強く伝えたい部分です。
なぜ、便利な大都市から、能登町に人が来るのか。なぜ、能登町の暮らしを選ぶのか。なぜ、震災があっても残るのか。この問いは、能登が持っている価値をはっきりさせます。能登が何を守り、何を次へ渡せるのかを、言葉にします。
大都市には便利さがあります。選択肢が多く、サービスが整い、困ったら買える、頼める、予約できる。しかし、その便利さは、人を満たすとは限りません。便利さが増えても、孤独が消えるとは限らない。便利さが増えても、自分が誰かの役に立っている実感が増えるとは限らない。便利さが増えても、季節の手触りが戻るとは限らない。便利さは、生活を支える力にはなっても、暮らしの豊かさを保証しない。ここに、大都市の弱さがあります。心が空白になりやすいという意味でも弱い。人のつながりが希薄になりやすいという意味でも弱い。
能登町の集落が持っているのは、便利さとは別の価値です。暮らしが関係と役割で回っていること。季節と仕事がつながっていること。顔が見える関係の中で、助け合いが具体的な行動になること。
能登には「自分の行動が、暮らしに直結する感覚」、があります。草刈り一つが安全と景観と田畑を守ることにつながる。祭りの準備一つが、誇りと連帯と、次の世代につながる。誰かの一手が、集落の一日を守る。
この感覚を求めて、能登町に来る人がいます。便利な生活を手放してでも、豊かな暮らしを選ぶ人がいる。これは理想論ではありません。実際に起きている選択です。だからこそ私たち能登町民は、被災生活を乗り越えることが出来ました。
実際に私も、誰でも私のことを知っている能登が嫌で、都会に出てきたはずなのに、こんなにいっぱい人が住んでいるのに、隣人さえどんな人か分からない状況に、心にぽっかり穴が空いたような感覚を持っていました。能登に帰ってきた理由の一つに、コロナ渦だったこともありますが、都会を経験し、能登の、顔が見える関係に、居心地の良さを感じていたのかも知れません。その、顔の見える関係のおかげで、発災時、助け合いが多くの場所で生まれたとも考えます。
さらに、能登町は人口が少ない。だからこそ、影響が大きい。
大都市では、誰かが動いても埋もれます。能登町では、人口が少ないおかげで、動きがはっきり見えます。数人から十数人の役割参加が、行事や作業の成立を左右する場面がある。つまり、来た人は「自分が必要とされた」「自分の行動が意味を持った」と実感しやすい。この実感が、人を残します。関係を続けさせます。だから能登町には、関わり続ける人が増える。これが、能登の強さです。
これまで能登町には、約400名の移住者が積み重なってきました。そして震災のあとも、その大半が能登町に残り、暮らしを続けています。便利な選択肢に戻れる人が、簡単には戻らない。
理由は単純です。能登町には、暮らしを支える関係がある。役割がある。自分の行動が大きな意味を持つ。自分が必要とされる。これが、暮らしの核です。ここをつかんだ人は、簡単には手放さない。だから能登町に残る。ここに、能登町の価値がはっきり表れています。
そして、#ここから高校生に伝えたいことがあります。
みんなの進路や生き方は自由です。能登町に残る選択も、外に出る選択も、どれも正解になり得ます。大事なのは、周りに流されて決めるのではなく、自分の目で見て、自分の頭で考えて、納得して選ぶこと。これが正しく選択するということです。今後、生きていく上で、いちばん強い力になります。
#外に出る人 には、はっきり言いたい。外に出ることは価値がある。進学でも就職でも、外で学び、外で出会い、外で技術を身につけることは、あなた自身の人生を太くするし、能登にとっても大きな財産になる。外に出るほど、能登の価値がよりはっきり見えることもある。だから外に出ることを恐れないでほしい。

一方で、#地元に残る人 にも、はっきり言いたい。地元に残ることは、決して「保守」でも「妥協」でもない。能登の復興は、地元にいる人の存在が軸になる。日々の暮らしを回し、集落の活動を支え、季節の仕事をつなぎ、地域の空気を守る。その真ん中に立つことは、誰にでもできる役割じゃない。残るという選択は、能登の未来を支える強い選択になり得る。そして、震災前に能登という大人が作ったキャンバスは、地震豪雨災害により、真っ白になった。つまり、人口の少ない能登で、あなたが動くことにより、あなたの描いている能登に、はやく近づける可能性が高い。これはチャンスです。

そして、外に出る人も、地元に残る人も、共通して持てる力があります。
それは、能登とつながり続けることです。関わり方は一つじゃない。祭りや行事に参加する。地域の作業に手を貸す。外で出会った人に能登を紹介する。一緒に来る。能登の魅力や課題を、自分の言葉で発信する。高校生として、今いる場所からできることもあるし、外に出てからできることもある。どこにいても、能登の復興に参加できる道は残せる。
能登の復興は、誰かが代わりにやってくれるものではありません。能登の未来は、能登の高校生がどう動くかで変わります。これは励ましではなく現実です。人口が少ない町やから、一人の行動がよく見える。そしてその行動は、連鎖する。
その例として、震災の時、私が動こうと思ったキッカケがあります。
道の悪い1月2日から、宇出津から金沢まで、当時片道13時間だった距離を、危険をかえりみず、みんなのためにと、何度も物資をピストンし、町中に配り歩いてくれた、地元のヤンチャな先輩たちがいました。これが能登町やなって。
頼もしい先輩たちをみて、落ち込んでる場合じゃないと心動かされました。あの人らががんばっとりんから、が連鎖していきました。私以外にも、心動かされた町民は、多かったと思います。
高校生が一人動けば、大人が動く。中学生が憧れる。小学生がワクワクする。能登町はそういうかっこいい場所です。そして、高校生は、能登町にとって、そういう存在です。
だからこそ、自分の人生を自分で選んでください。どの選択も経験も、間違いではなく、人生における財産です。
私が県外の大学への進学を選んだことも、美大卒なのにホテルに就職したことも、海外旅行しまくったことも、日本画卒なのにデザイナー(兼 集落コーディネーター)になったことも、全て今、活きています。
皆さんの選択の先で、能登の復興を一緒にできたら嬉しいです。みんながそれぞれの場所で力を付け、能登とつながり続け、必要なときに一緒に動ける。助け合える。そんな未来を、そんな能登町を、みなさんと本気でつくりたいです。
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能登町の高校生へ、春からの道も幸せいっぱいであることを願ってやみません。
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